♪♪(^^) 笑った (^^)♪♪
写真の無いブログを書くのは初めてだ。でも、今日は書き残しておきたい。
母は74歳にLewy小体という認知症を発症してしまった。同世代のアルツハイマーの方に比べ、進行がとても早かった。
私はこれまでに母の色々な最後を見届けてきたし、見送ってきた。
けれどそれはいつもそれが最後になるなんて知らないままに過ぎてきてしまったのだ。
母が母として、元々の性格、人間性を備えて行動し、語っていた最後の日。
私の作った料理を「美味しい。」と言って食べてくれた最後の日。
着ている服を褒められると嬉しそうに笑っていた最後の日。
上手くお風呂に入れなくなり、一緒に介助をしながら入った最後のお風呂の日。
意味のある会話ができた最後の日。
トイレで排泄ができた最後の日。
歩くことができた最後の日。
私の名前を呼んでくれた最後の日。
歌を口ずさんでいた最後の日。
もっともっと数えきれないほど沢山の最後の日があったのだ。
そしてここ数十日、呼吸が苦しくなると辛そうな表情をする他は無表情。いくら話し掛けても反応のない日々。
私は母が最後に笑った日がいつだったのか覚えていない。もう二度と笑顔が見られないと思うと寂しくてたまらない。最後の笑顔は覚えておきたかった。そんなことを思いながら面会を繰り返していたが、今日、笑ってくれたのだ 一瞬にして目が釘付けとなった。
こんなに嬉しいことってなかなかない。
仕事で嫌なことがあろうが、誰れかに中傷されようが、つまらないことがあったって、そんなことはどうでもいい。大したことじゃあない。
大好きな人の笑顔を見られることの幸せは、全てのことをかき消してしまう力がある。
日常に起こることなんて、ちっぽけなこと。
今日は最高に幸せな日だった。瞬間だった。
もしも『また』があるのなら、もっともっと幸せだ。
神様、ありがとう お母さん、ありがとう
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針ノ木雪渓〜スバリ〜鳴沢〜岩小屋沢岳<扇沢周回コース>
夜勤明けの残業、仕事持ち帰りで、お昼寝1時間半で母の所に寄ってから北アルプスの玄関口である扇沢に向かった
寝不足は堪えるので、行くか行くまいか少々迷ったが、お天気は良さそう だし、心の元気が欲しかったのでやっぱりここは山なのだ
7月28日(水)0時頃扇沢に到着。涼しくて、窓を閉め切ったまま綿毛布1枚を掛けて寝るが、寒さで4時前に目が覚めた
今回は針ノ木雪渓を登り、新越山荘に泊まり、柏原新道下山で扇沢に戻る周回コースを予定した。
前日、新越山荘に予約の電話を入れると「長いコースになるので普通は逆周りで柏原新道から登りますよ。雪渓から登るのならば、時間と相談して無理せず針ノ木小屋に泊まることをお勧めします。このところ午後には雷や雨になっていて稜線歩きは逃げ場がないので危険です。」と言われたので緊張感があった。それでも苦手な雪渓を下りに使うなんて、私には論外なのだ でも、その緊張感のお陰で、行きの扇沢までの運・/span>は全然眠くならなかったから不思議だ
【コースタイム】扇沢登山口ポスト05:00→大沢小屋05:46/05:48→針ノ木小屋07:38/07:43→針ノ木岳08:27/08:35→スバリ岳09:04/09:10→赤沢岳10:09/10:19→鳴沢岳10:49/10:55→新越山荘11:17/11:25→岩小屋沢岳11:54/12:00→種池山荘12:59/13:01→ケルン13:57→柏原新道登山口(国道45号線)14:26 …⇒扇沢駅 14:39着
というわけで、1泊予定だったけれど予想外に時間がかからなかったことや、翌日の天気にあまり期待ができなかったこともあり、何より1泊2食付き¥9000も浮くってことで日帰り登山に変更した。 扇沢駐車場から坂を上がると左手道路脇に登山届ポストがある。計画書を投函し、そこを5時ジャストに出発した
最初はくねった車道をショートカットするように登山道が通っており、標識も明確でありがたい。
そしてこの針ノ木岳登山道入口を通過したのが05:16。
樹林帯をしばらく行くと、繰り返し石がゴロゴロとした沢筋を渡る。
少し水量の多い?場所にはこうして橋がかけられており整備がよくされている。
大沢小屋。雪渓情報をここで得ることになっているが、今の時期なら特に問題はないか。
中をチラッと覗いたら、皆さん朝食中だったので、ドア越しに会釈だけして通過する。
途中で追いついた単独のオジサンと少しお話しするが、先を急がなくてはならないので、喋りながらも先へ進むとオジサンとは少し距離ができた。
いよいよ針ノ木雪渓が見えてきた。
親切に雪渓への入渓ポイント&ルートが記されていた。
6本爪のアイゼンを装着し、ピッケルを持ち、準備万端
少し上がって振り返ると、朝日が山並みを照らし美しい。
上の写真に写っている方と、途中で話したオジサンがもう随分下になっていた。(雪渓中央に2人)
雪渓上には木や岩などが落ちている。
この雪渓は傾斜の強くて凍って滑りそうなところが2か所ほどあったが、6本爪なので全く怖いと感じることはなかった。あの大きな岩に夏道に戻るマークが描かれていた。
思ったより短い?雪渓に感じられた。
剣沢のように両側から迫ってくるような高さもないので、明るく快適な雪渓だ。
ここからは多少短い距離の雪渓をトラバースする場所はあるが、アイゼンは完全に不要である。
もっと早い時期ならば、上まで雪渓を詰められる。こうしてまた雪の上にペイントで歩く場所が記されていた。
今の時期は夏道が早めに出てくるので逆にしんどいかも。
沢筋を過ぎると九十九折りに土っぽい道を登っていく。
そして針ノ木峠到着。
目の前に小屋がある。宿泊した人達だろうか。10名前後が出発準備をしていた。遠くに槍、笠まで見える素晴らしい展・/span>だ。
ここまでにもキンポウゲなど花は咲いていたが、ここからさらに花の種類も量も増える。
開花しているチングルマを見るのは久し振りだ。
これから歩く、スバリ〜赤沢〜鳴沢方面だ。
奥には白馬も見えている。
こちらは振り返って見た、進行方向とは逆の蓮華岳である。
針ノ木岳 2820.6m
360度の絶景だ
眼下に黒部湖。
剣〜立山〜五色が原と3000m級の山々が麗しい。
イワキキョウの向こうには、爺、鹿島槍から白馬へ続く山並み。
針ノ木岳からマヤクボノコルへと降りる道は岩や石がガラガラしていて歩きにくい。
振り返るとこんな感じ。 岩場には岩場なりの花がある。
立山がだんだんと近づいてきた。
前方には小スバリ、奥にスバリ岳が待っている。
岩あり緑あり。
ムムム…
早くも雲が出始めている
高山植物の女王、コマクサ。
スバリ岳斜面に1ヶ所だけ小群落あり。
山頂には先客の男性2人組がいた。
ヘロヘロのご様子。「何でこんな思いをして山なんかに登るの?」と、三脚を立てて撮影中に話しかけてきた。
「気持ちいいじゃないですか 景色も空気も風もサイコー 」って答えた
赤沢岳へ向かう途中、右手前方、雲がどんどん湧き上がっている。でも頭の上は快晴 う〜〜〜ん。進行方向だけに気になる
ヤセ尾根もあるが、強風でもない限り怖くはない。
『滑落多し!注意』の看板が設置されていた箇所。
ちょっとルートどりを間違えると浮石も多く、確かに危ない。3点支持で慎重に登る。
赤沢岳2677.8m
山頂ひとり占め。お腹が空いてフラフラしてきた。もちっとあんぱん1/2とパワージェルを1つ摂取。
これで嘘みたいにまた元気になった
立山側にも雲が増えてきた。
昨日は13:30から剣、立山方面で雷 が凄かったとすれ違う登山者が幾人も話してくれた
地図と時間行程を再確認。
大分予定より速く来ているので新越山荘までは雨に遭うことはないだろう。
おっと、間もなく登山道までガスがかかるか。
振り返った赤沢岳。
見えたー!鳴沢岳山頂の標識
鳴沢岳 2641m
ここから新越山荘は30分だ。ん まだ11時前だ。泊まるには早いなぁ。
まあ、着いてから考えよーっと。
鳴沢岳を下るとガレ場はなくなり、緑豊かな登山道となる。
しゃくなげは随所に見られた。
歩き易い登山道がこの先ずーっと続く
新越山荘 11:17着。
小屋はキレイだし、立地も良い。泊まるには悪くないが、なんといってもまだ午前中。
せめて種池山荘まで行くことにしよう。
とりあえず中で予約取り消しの挨拶をする。
すると、無線で種池山荘に宿泊予約を入れてくれると言う。同じ経営のようだ。
直ぐに出発すると、『熊注意 』の立て看板が目に飛び込む。
こんな上にも熊が居るのか
ああ、今回も熊鈴忘れた
ガスの中を歩く。
青空の下を歩くのと、ガスの中では気分が違う。湿原歩きはガスがかかっている方が好きだが、熊が居ると思うとイイ気分ではない。
こんなウンコがやたらとある。2mおきくらいに見掛けるほどだ。
まさか熊じゃないよねぇ。熊にしては小さ過ぎるし…でも…
仕方ない。歌でも歌いながら歩くとしよう
時々右手の視界が開けると篭川が見える。 岩小屋沢岳 2630.3m
ここまで来ると熊の気配はない。ほっ
背が低くてたくましいショウジョウバカマ。
この辺りは肩位までの樹木が多くなり、立山方向の展・/span>はこんな感じ。
見えたぞ!種池山荘 もうすぐだ。晴れていれば、爺ヶ岳や鹿島槍も見えたはず。
池越に見る、岩小屋沢岳。
このルートの花で一番印象に残ったのが、この‘キヌガサソウ’である。これほどの群落を見たのは初めてであった。
種池山荘 12:59着。
明日の天気はあてにならない気がするし、夕暮れやモルゲンロートも期待できそうにないことから、ここにも泊まらず下山することに決〜めた!
一応、新越山荘から連絡が入っていると悪いので断りのご挨拶をして下山開始。
柏原新道はとても快適な登山道だ。
爺、鹿島槍方面が人気で人が多い。
扇沢の駐車場が見える。
私の車も見える
柏原新道登山口(国道45号線)14:26着。
雨にも雷にも遭わなくて良かった
夏山は14時までにはテン場に到着しておくようにと山岳会で教わったっけ。最近忘れてたな。気を引き締めなくては!
この後、いつもの大町温泉郷、薬師の湯 でのんびりして帰路についた。ソフトクリームがやたら美味しく感じた。
富士登山競走前は身体に気を遣って、思うように山に行けなかったけれど、これからはシーズン全開なので趣くままに山を満喫したいと思いま〜す
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富士登山競走 2010 【五合目コース】
応援して下さっていた皆さん、ありがとう
ギリギリではありましたが、無事に五合目コースの関門を突破できました
以下、速報による参考記録。
【5合目コース】 女性登録者422名 実際に走った人の数は現時点では不明
【完走制限時間】 3時間30分 制限時間内女性完走者:248名
【個人記録】 馬返し: 1時間17分06秒 五合目ゴール:2時間19分00秒 55位
市役所前の出発を待って並んでいる時から暑くて背中に汗が流れていた。
今回は北丹沢の反省を生かすつもりで?、いや走ることがトラウマとなってしまったという方が正しいが、練習はほとんどせず、日頃の疲れをとることに努めた。そしてスタートしてからは、周りは皆自分とは違う走り込んでいるマラソンランナーなのだから速いペースに巻き込まれて無理をしたらいけない、と自分に言い聞かせながらマイペースを崩さず最後まで走りきった。正確には馬返しの大分手前から走るのに疲れ、歩きになってしまった。本来は、馬返しまでは走るべきところ。今の私にはどんなにゆっくりであっても走ることはできなかった。しかし山道に入って皆も歩きになってからは、歩き登りのスピートとしては男性を含め追い越すことはあっても、追い越されることはほぼなかった。ただ、途中途中にまたロードが出てくるので、そこでまた追い越され、また山道に入ってから追い越すという繰り返しだった。山道での追い越しは右へ左へ、足場の悪いところからという具合で人を避けて登らなければならないのが少々辛いしロスも大きい。
今回は自分自身では、100%の力を出し切れたと思っている。これが今の私の力なのだと思い知った。全体的な体力不足と、長距離(このレースは長距離ではないが)を走ることに慣れていないことが私の弱さだと思った。
7月23日(金) 第63回 富士登山競走が開催された。今回は両コース併せて5461人がエントリーした。
富士吉田市役所を出発点として、山頂コースと五合目コースの2種類がある。
今年から山頂コースへの参加は、過去3年間の大会において五合目関門通過タイムが2時間30分以内の実績のあるランナーのみ資格が与えられるようになった。
私は初参加なので五合目コースを2時間30分以内で走って初めて来年の山頂コースへの参加資格が得られることになる。
今年の目標は何としてでも2時間半突破である
今回はキリマンジャロ仲間であり、トレイルランの師匠であるN女史のお仲間と一緒に行動させてもらうことになっていた。
レース前日の22日16時に富士吉田市役所前に待ち合わせ。
市役所の駐車場には、沢山のスポーツメーカーのテントが張られ賑わっていた。北丹沢のレースしか知らない私にとって、こちらの規模はさらに大きく、市役所付近だけではなく、町中にいかにもランナーの人達が・/span>ロ・/span>ロと大荷物を持って移動している様は異様にも見えた。
エントリーを済ませてから、私の車にN女史とみかちゃん(初対面)を乗せ、山中湖にある『サンライズ尾崎』へ向った
今回のN女史のお仲間は、イッキさんという方が主催する‘マラソンWeb練習日記’という参加型HPを通じて知り合い集まったランナー?の方々ということらしい。それも10年を超える長いHPであり、お付き合いのようだ。
私の他には初参加のY氏とみかちゃんが5合目コース。他の皆さんは実績のあるランナーなので山頂コースへ出場である。応援団もおり、当日合流組も含めると20名以上の集団だ。私だけド素人なので気が引けたが、気のいい皆さんだったので直ぐに馴染むことができた。
23日(金)
山頂コースは7時00分スタート。
五合目コースは8時30スタート。
5時に宿を出発する山頂組の面々。空気が張ってきている。
私達五合目組は6時に出発した
会場は物凄いランナーの数
5合目で受け取る荷物(着替えや防寒具など)と、帰って来てから市役所で受け取る荷物に分けて預けているところ。
ウオーミングアップをしているランナーが何人も右へ左へと走っているが、そんなに走ったら本番で疲れてしまわないのかなぁ?と思うほどにしっかり汗をかいていた。
こちらトイレに並ぶ長蛇の列
男性小用が2つ、男女共用が5つ。参加者人数からしたら、もう少し増設した方がいいような…。
山頂コースのスタートを応援しようと待ち構えていたが、なんと私達が居た場所とは逆の方向にスタートだということに気が付いた時には、もう間に合わなかった
背中を見送ってから、共に五合目コースを走るみかちゃんと富士山 バックにY氏に写真を撮ってもらった
レース中はウエストポーチに350mlのペットボトルを持っただけで、カメラも携帯
ただゴールを目指しただけで、時間を気にする・/span>裕もなかった。
結果、私は来年の山頂コースへの参加資格を得られた。
みかちゃんは制限時間内完走だ。
Y氏は1時間40分台の堂々たる成績で来年は山頂を目指す!
↑これが五合目完走賞のスポーツタオル
五合目からはバスで吉田市役所まで送迎してくれ、そこから駐車場までもミニバスが出ている。
山頂コースの方より先に宿に帰らせてもらい、お風呂に入ってごろ寝。
山頂コースの方も戻り、ひと休みしてからバーベキューが始まった。
(山頂コースは制限時間がとてつもなく厳しい。完走した人、間に合わなかった人もいた。体調管理も難しいところだ。)
お肉、イカ、ホタテ、エビ、骨付きウインナーなどなど、豪華に用意された食材をたっくさんいただいて、すっごく美味しかったし楽しい夜だった
N女史は自己ベストでの完走を遂げ、さすがである。
24日(土)朝、五合目コースのメンバー3人で記念撮影し、それぞれの帰路へついた。
来年は山頂コースにエントリーする。
今のままでは制限時間内の完走は不可能だ。まずは馬返しまでを走り抜く力をつけないことには話にならない。
来年また皆さんと会い、共に完走を喜びあえるように、これからの1年を頑張りたいと思う
応援、ありがとう。 これからが本当の努力になると思う。1年後の私は強くなるぞ
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美容院と鎌倉花火大会
7月21日(水)今日は夜勤明けの残業で、職場を出たのは11時過ぎだった。
その足で職場仲間お勧めの『ビューティ田中』美容院へ行き、お勧めのトリートメントをしてもらった。たかがトリートメント、されどトリートメントで、髪の手触り感、まとまり感が全然違う。
美容院の後、母のところへ行ったら、そこの職員さん達から「髪切ったんですか?」と数名から聞かれるほど、トリートメントだけで雰囲気が変わったようだ。
この『ビューティ田中』はスタッフが今時珍しい全員女性なのだ。おまけに予約は受け付けず、来店順に対応してくれる。これだけでも私好み
逗子では長く『アリレイナ』を利用してきたが、担当の方が辞めてしまってからというもの、落ち着ける美容院を探し続け何軒歩いただろうか。これでカットも上手だったら助かるんだけどな
そんなわけで残業後、美容院、そして母のところに寄り、帰宅後爆睡
そしてドン ドン という大きな音で目が覚めた。窓の外を見ると…今日は鎌倉の花火大会だった。我が家からは山の上に高く上がった花火だけが見えるのだ。
でも鎌倉の花火大会は水中花火が見どころなんだよね。
子供の頃はよく家族で逗子マリーナまで見に行ったものだ。
お母さんが元気だったらなぁ。
明日、母のところに寄ってから富士吉田へ向かう。
レース前泊は、キリマン仲間の女性が例年富士登山競走で常宿にしており、そこに集う常連仲間の方がいるようで、私もそのお仲間に入れてもらうことになっている。
行動を起こす時は一人が多いので、多勢の中に入る緊張感の方が、実はレースより強いかもしれない
5合目まで2時間半を目指して頑張るぞ 今晩もよく寝て睡眠不足解消だ
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自衛隊病院現役&離職者飲み会
数週間前に突然Y先生から電話がかかってきた。横須賀自衛隊病院に就職していたのは12年前からの約4年間だ。それ以来の連絡だった。
当時共に頑張った仲間で飲み会をやろう という企画で、当時から電話番号 もメアド も変わっていない私に連絡が来たというわけだ。私から連絡のつくところへ8名ほど誘いをかけたが結局1人しか都合の合う人がいなかった。
7月10日(土) 横須賀中央にある『忠孝』という焼き鳥屋居酒屋に集結した。
私は日勤後に向かったので、皆さんすっかりいい顔色になっていたところへの参加となった。
もう何年も会っていないのに、わかるものだなぁ。全然変わっていないといえばいないし、貫禄のついた人、遠くへ行ってしまった人、昇進した人など様々といえばそれぞれの道をまた歩いている。
ドクターが11名くらい。ナース、衛生隊が10名程度だったろうか。
職場も辞めてしまえば上下関係も、医師、ナースの関係もどうでもいいわけで、私としては当時よりもリラックスした気分だったかもしれない。
今も自衛隊に在籍中の方も多く、専門用語?独特な内容がこれまた懐かしい。私には過ぎ去った時代ではあるが、自分がこういう中で働いてきたんだとあらためて振り返る時間であった。
自分自身、当時は人間が今以上に未熟だった。こんな楽しく人間味溢れる人達と働いていたのだけれど、大阪から戻って医療現場復帰後間もない私は緊張の連続で・/span>裕がなかった。あの時も一生懸命だったし、あの時代があったから今があるのは間違いない。
沢山の人と関わり、それがこうしてまた同じ時間を重ねることができる幸せ。長く生きているとこんな仲間も機会も増えるので、歳をとるのも悪くないね。どこにあっても、いつもいい付き合いをしたいものだ。それが人生の宝となっていくのかもしれない。お元気で
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