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英彦山
2012年11月28日(水) 二百名山である福岡県の英彦山(ひこさん)へ出掛けた。

国道500号線沿いの英彦山駐車場にレンタカーを停め、
と準備を整え出発。
博多駅前からの移動
だったが、あんなに福岡市内が渋滞するとは予想外で、歩き始めが11時近くなってしまった

駐車場を背中に、駐在所と地場産土産の店の間の道を登り、道なりに進むとお店がちらほら出てくる。すると間もなく表参道だ。

少し階段を上がったところに案内図があり、ルート確認をしてからまた登る。

長い長い石階段。けれど、段差も幅も登りやすい。

ようやく英彦山神宮下宮(奉幣殿)が見えた。

手水場で浄め

お参りをしてから

登山開始

登ってすぐのところにまた社があったので、もう一度参拝。無事の登山を祈る。

ずーっと石畳階段が続く。よくぞ積み重ね造ったなぁ。

ちょろっと鎖があるけれど、鎖は不要な足場のしっかりとした岩場。

ほとんどが石畳の階段で上宮まで行くのだが、たま~にこんな平地もあった。
耳が冷たいが、毛糸の帽子だと暑いということで、タオルを頭に巻いて歩く。

こんな具合に凍っている気温。何℃くらいだったかな?

中津宮。有名な山なのに、登っている人に全く会わない。

中津宮の入口にこんなに太く高い木が立っていたが、枯れている?

足元にふやふやに柔らかくて若い色の緑があった。晩秋には異色な雰囲気があったのでパチリ

標高が上がり展望が開けると、立ち枯れの荒涼とした風景だった。

立ち枯れた木を人間が整備のために切ったのか、自然と折れて倒れてしまったのか、横たわった木が沢山散らばっている。

豊臣秀吉が領地を奪ったことで藩が貧しくなり、参拝者からお金を取ることになったと記述あり。

道幅が多少細くなり、自然の石や土道も出てくるが、とても歩き易い。

社やお地蔵様を管理している?女性を見掛けた。ペンキを塗ろうとしていたようだが、寒い中、一人での作業は大変なことだと思う。写真は祠と水場(蓋を開けると濁った水が貯まっていた)。

これは鳥居だろうか。立ち枯れの風景に馴染んでいる。

遠く眼下には町が見える。

上宮が見えてきた。もう一息。

結構殺風景な『英彦山神宮上宮』だと思った。中央の扉を開けると

直ぐ目の前に普通の神社らしい姿があった。

お賽銭は賽銭箱ではなく、壁の穴へ入れるようにと示してあった。合掌。

一応三脚を立てて記念撮影をする。雲が多く展望なし。休憩予定だったが、冷たい強風で身体が凍えそうで、雨具を来て鞍部へ下り、南岳へと進む。

少し降りただけでも風は収まりひと心地。目の前がすぐ南岳だ。

南岳へ登っている途中で振り返り、上宮山頂を展望

南岳山頂 1199.6m 英彦山の中の最高峰
ポーズをとろうとして躓いたら、こんな写真になった

展望台があったが登らなかった。風が当たらず、日向のベンチで昼食休憩。


南岳から鬼杉方向への道は、岩や鎖場があるが、いずれも本来は鎖は要らないような足場だった。
写真はわざと遊んでみた。余裕の笑顔だ
3
赤っぽく乾燥した土もあり、一つの山でも変化があるものだ。

ススキが秋らしい。こちらの方角には民家などは見当たらず、山脈が静かで美しい。

上宮までの道や風情とは大違いで湿気が多いのか、ほとんどの岩に苔が生している。

山としては歩きにくくはないが、これまでの道からすると岩だらけで足元注意。

材木岩。柱状節理が現れている。規模はあまりにも違うが、層雲峡を思い出した。
ムムム、、、鹿の頭蓋骨かな
キノコの一種だろう。大きい
グローブの指先にサックをしているような植物

そろそろ膝が痛くなる頃かな。

ゴロゴロ岩が終わり、土と枯葉の登山道を緩やかに下りると‘衣ヶ池’。
水に沈んだ紅葉が艶やかに美しく見えた。

沢には水が豊かだ。寒いのに顔を洗っている

私も水には触っておこう。ここから何本もの細い沢を越して行く。

世界最大の梵字岩ということで、私一人で上がることにした。

建物内には祠が。梵字は左上の岩に彫られていた。

なんていう字なのかはわからない。なんでわざわざこんな場所に書いたのだろうか。

彼が素晴らしいアートだと、この枯木が気に入った様子。

キノコやらサルノコシカケやらいっぱいくっついていた。

見事に積まれた古い石壁。上には建物はなかった。

四阿屋の屋根に生えた植物が種類も勢いもすごいなぁ~。

下宮が見えてもうすぐだ。道が標識もなく2つに分かれるが、上側の道を行くと下宮だ。

下宮でおみくじを引いてみた。彼は‘中吉’ 私は‘末吉’。あまり良くなかったので、厄除けにきちっと結わいて置いてきた。

下山後は『英彦山温泉 しゃくなげ荘』へ。広い敷地でこちらは宿泊も可能。

入湯料¥600 ラドン含単純放射能泉とナトリウム炭酸水素塩泉の2泉ブレンド温泉。
黄色っぽいお湯で無臭。炭酸水素塩泉というから気泡が身体につくかと思ったけれど、全くそれは無し。

内湯で温まった後に、露天のひんやりとした空気の中で熱めのお湯に入るというのは最高だ
レンタカーフィットで博多へ戻る。
今回は距離から予想した移動時間がかなりオーバーしてしまったことから、入山が遅くなり、短いコースの周回で終わってしまったが、本当ならば北岳にも寄りたかった。
英彦山ならば平日でも沢山の人が登っているだろうと思っていたが、人の少なさが意外だった。
九州の山々もそれぞれに個性があるが、立ち枯れや倒木が少々気になる山だった。
【コースタイム】 英彦山駐車場10:56→神宮下→下宮奉幣殿11:13/11:17→中津宮11:53/11:55→英彦山神宮上宮12:31/12:37→南岳12:45/13:07→材木岩13:38→鬼杉分岐13:50→梵字巌14:21(梵字岩まで往復5分)/14:26→下宮奉幣殿14:57/15:09→英彦山駐車場15:24

国道500号線沿いの英彦山駐車場にレンタカーを停め、

博多駅前からの移動



駐車場を背中に、駐在所と地場産土産の店の間の道を登り、道なりに進むとお店がちらほら出てくる。すると間もなく表参道だ。

少し階段を上がったところに案内図があり、ルート確認をしてからまた登る。

長い長い石階段。けれど、段差も幅も登りやすい。

ようやく英彦山神宮下宮(奉幣殿)が見えた。

手水場で浄め

お参りをしてから

登山開始


登ってすぐのところにまた社があったので、もう一度参拝。無事の登山を祈る。

ずーっと石畳階段が続く。よくぞ積み重ね造ったなぁ。

ちょろっと鎖があるけれど、鎖は不要な足場のしっかりとした岩場。

ほとんどが石畳の階段で上宮まで行くのだが、たま~にこんな平地もあった。
耳が冷たいが、毛糸の帽子だと暑いということで、タオルを頭に巻いて歩く。


こんな具合に凍っている気温。何℃くらいだったかな?

中津宮。有名な山なのに、登っている人に全く会わない。

中津宮の入口にこんなに太く高い木が立っていたが、枯れている?

足元にふやふやに柔らかくて若い色の緑があった。晩秋には異色な雰囲気があったのでパチリ


標高が上がり展望が開けると、立ち枯れの荒涼とした風景だった。

立ち枯れた木を人間が整備のために切ったのか、自然と折れて倒れてしまったのか、横たわった木が沢山散らばっている。

豊臣秀吉が領地を奪ったことで藩が貧しくなり、参拝者からお金を取ることになったと記述あり。

道幅が多少細くなり、自然の石や土道も出てくるが、とても歩き易い。

社やお地蔵様を管理している?女性を見掛けた。ペンキを塗ろうとしていたようだが、寒い中、一人での作業は大変なことだと思う。写真は祠と水場(蓋を開けると濁った水が貯まっていた)。

これは鳥居だろうか。立ち枯れの風景に馴染んでいる。

遠く眼下には町が見える。

上宮が見えてきた。もう一息。

結構殺風景な『英彦山神宮上宮』だと思った。中央の扉を開けると

直ぐ目の前に普通の神社らしい姿があった。

お賽銭は賽銭箱ではなく、壁の穴へ入れるようにと示してあった。合掌。

一応三脚を立てて記念撮影をする。雲が多く展望なし。休憩予定だったが、冷たい強風で身体が凍えそうで、雨具を来て鞍部へ下り、南岳へと進む。

少し降りただけでも風は収まりひと心地。目の前がすぐ南岳だ。

南岳へ登っている途中で振り返り、上宮山頂を展望


南岳山頂 1199.6m 英彦山の中の最高峰

ポーズをとろうとして躓いたら、こんな写真になった


展望台があったが登らなかった。風が当たらず、日向のベンチで昼食休憩。


南岳から鬼杉方向への道は、岩や鎖場があるが、いずれも本来は鎖は要らないような足場だった。
写真はわざと遊んでみた。余裕の笑顔だ


赤っぽく乾燥した土もあり、一つの山でも変化があるものだ。

ススキが秋らしい。こちらの方角には民家などは見当たらず、山脈が静かで美しい。

上宮までの道や風情とは大違いで湿気が多いのか、ほとんどの岩に苔が生している。

山としては歩きにくくはないが、これまでの道からすると岩だらけで足元注意。

材木岩。柱状節理が現れている。規模はあまりにも違うが、層雲峡を思い出した。






そろそろ膝が痛くなる頃かな。

ゴロゴロ岩が終わり、土と枯葉の登山道を緩やかに下りると‘衣ヶ池’。
水に沈んだ紅葉が艶やかに美しく見えた。

沢には水が豊かだ。寒いのに顔を洗っている


私も水には触っておこう。ここから何本もの細い沢を越して行く。

世界最大の梵字岩ということで、私一人で上がることにした。

建物内には祠が。梵字は左上の岩に彫られていた。

なんていう字なのかはわからない。なんでわざわざこんな場所に書いたのだろうか。

彼が素晴らしいアートだと、この枯木が気に入った様子。

キノコやらサルノコシカケやらいっぱいくっついていた。

見事に積まれた古い石壁。上には建物はなかった。

四阿屋の屋根に生えた植物が種類も勢いもすごいなぁ~。

下宮が見えてもうすぐだ。道が標識もなく2つに分かれるが、上側の道を行くと下宮だ。

下宮でおみくじを引いてみた。彼は‘中吉’ 私は‘末吉’。あまり良くなかったので、厄除けにきちっと結わいて置いてきた。

下山後は『英彦山温泉 しゃくなげ荘』へ。広い敷地でこちらは宿泊も可能。

入湯料¥600 ラドン含単純放射能泉とナトリウム炭酸水素塩泉の2泉ブレンド温泉。
黄色っぽいお湯で無臭。炭酸水素塩泉というから気泡が身体につくかと思ったけれど、全くそれは無し。

内湯で温まった後に、露天のひんやりとした空気の中で熱めのお湯に入るというのは最高だ

レンタカーフィットで博多へ戻る。
今回は距離から予想した移動時間がかなりオーバーしてしまったことから、入山が遅くなり、短いコースの周回で終わってしまったが、本当ならば北岳にも寄りたかった。
英彦山ならば平日でも沢山の人が登っているだろうと思っていたが、人の少なさが意外だった。
九州の山々もそれぞれに個性があるが、立ち枯れや倒木が少々気になる山だった。
【コースタイム】 英彦山駐車場10:56→神宮下→下宮奉幣殿11:13/11:17→中津宮11:53/11:55→英彦山神宮上宮12:31/12:37→南岳12:45/13:07→材木岩13:38→鬼杉分岐13:50→梵字巌14:21(梵字岩まで往復5分)/14:26→下宮奉幣殿14:57/15:09→英彦山駐車場15:24
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苦渋の選択
11月15日(木) 母の入所施設のナースより、最近痰絡みが多くなっており、特に夜間帯に吸引を必要とする状況が増えていると説明があった。そして「万が一の場合には、フラットでも心臓マッサージをしながら搬送するんですよね?」と尋ねられた。
私は即座に「いいえ。心停止しているのが明らかな状態での搬送は不要です。」と答えた。私はこの考えは一貫している。何度もその手の話はしてきているのに、「え?!変わったんですか?」と驚かれた。
肺炎や膀胱炎など、一時的な感染症などで点滴などの治療により回復の見込みがある場合には搬送して欲しいと今も思っているし、お願いしてきたのは事実だ。
私が熱心に母の世話をしているのを見ているだけに、そう思ってしまうのだろうか。
11月16日(金)施設担当医の回診時、痰絡みが多くなってきているので、いつ窒息による呼吸停止、心停止がきてもおかしくないという説明を受け、医師は痰を減らすには水分量を減らすしかないと言っていた。私は黙って聞いていた。
11月17日(土)午前中が入浴日で、正午頃に面会に行き、たまたま便臭がしたのでオムツを開けてみると、陰部にべったりと白い膿が付着していた。私は水分を減らすことのリスクを心配していた矢先の出来事だったので、直ぐに医務室へ行き報告し、水分量を減らしたかを確認したところ、「大して影響のない程度の量を減らした。」という答えだった。私はもう一度その場で「尿が汚くなっています。その辺りを考慮してお願いします。」と施設を後にした。
11月20日(火)これまでの間に確かに痰は減ってきている。正確に言えば、口から直ぐのところで目立ったゴロゴロはしていない。でも、気管支の辺り(サクションチューブでは届かない辺り)ではゴロゴロとした音が聴こえている。・・・尿の明らかな汚れはない。
私はずっと真剣に考えている。考えた上でナースに訊いてみた。「水分量は減らしていますか?」と。「200ml/日だけ減らしている。」という答えだった。そして「痰絡みがひどくなっているからね。でも、それで痰は減ってきていますよ。」と。
痰は咳き込むことで口腔内までは出せていたが、吸引をしなければならない。自分で飲み込むことも多くあった。ただし、痰の量が多いということは、誤嚥のリスクが高く、窒息する可能性も高いということだ。だから痰の量を減らそうという方針なのだと私は理解した。
しかし私が思うのは、普通の場合において、痰が絡むなら痰の粘稠度を軽くして痰切れを良くして出し易くするのではないだろうか。根本的な治療で痰が減るのであれば一番ありがたいことだが、それができないとしたら、水分を減らして硬くして口には出せなくなることが身体にとって良いことだろうか?その先には肺炎が待っている。
サラサラの痰ならば、喉まで出てきていれば吸引できるものが、引くこともできなくなることが果たして良い道だろうか?
水分が減るということは、痰のことだけではなく、身体全体の水分が減るということだから、血液も尿も濃くなるだろう。ということは、尿路感染症になりやすく、唾液が減ればますます口腔内乾燥は進むと同時に抵抗力はなくなり気道感染をお越しやすくなる。酸素や栄養の運搬を担っている血液量も減ることになれば…
ナースに「私は痰は出せる方がいいと思っています。皆さんの手間はかけてしまうと思いますが、今まで通りの吸引をしてもらえれば、夜間はヘルパーさんレベルの吸引でも構わないです。それでもダメな時には寿命だと思います。けれど、水分量を減らしたことで、痰が粘稠になり吸引することもできずに肺炎になって命を落とすことがあれば、これは予測ができることだし人為的なものだと思ってしまいます。」と言ってしまった。
本当にそう思ってはいるのだが、正しい判断かどうかはわからない。
私が思うことは、どちらにせよ死に向かっているのは同じ。けれど、死ぬことを考えてのケアをするのか、生きるためのケアをするのかが違うように思えてならない。
リスクマネジメントをした上で水分を減らすのであれば、居室の湿度や温度管理、感染症予防対策を徹底し、そのケアプランの立案と説明、そして同意の上での実行があってこそだと思うのだ。
私はただただ母のことが大事なのだ。真剣に考えている。施設に苦情を言いたいわけでは決してない。
どうか心を寄せてはもらえないだろうか。
私は即座に「いいえ。心停止しているのが明らかな状態での搬送は不要です。」と答えた。私はこの考えは一貫している。何度もその手の話はしてきているのに、「え?!変わったんですか?」と驚かれた。
肺炎や膀胱炎など、一時的な感染症などで点滴などの治療により回復の見込みがある場合には搬送して欲しいと今も思っているし、お願いしてきたのは事実だ。
私が熱心に母の世話をしているのを見ているだけに、そう思ってしまうのだろうか。
11月16日(金)施設担当医の回診時、痰絡みが多くなってきているので、いつ窒息による呼吸停止、心停止がきてもおかしくないという説明を受け、医師は痰を減らすには水分量を減らすしかないと言っていた。私は黙って聞いていた。
11月17日(土)午前中が入浴日で、正午頃に面会に行き、たまたま便臭がしたのでオムツを開けてみると、陰部にべったりと白い膿が付着していた。私は水分を減らすことのリスクを心配していた矢先の出来事だったので、直ぐに医務室へ行き報告し、水分量を減らしたかを確認したところ、「大して影響のない程度の量を減らした。」という答えだった。私はもう一度その場で「尿が汚くなっています。その辺りを考慮してお願いします。」と施設を後にした。
11月20日(火)これまでの間に確かに痰は減ってきている。正確に言えば、口から直ぐのところで目立ったゴロゴロはしていない。でも、気管支の辺り(サクションチューブでは届かない辺り)ではゴロゴロとした音が聴こえている。・・・尿の明らかな汚れはない。
私はずっと真剣に考えている。考えた上でナースに訊いてみた。「水分量は減らしていますか?」と。「200ml/日だけ減らしている。」という答えだった。そして「痰絡みがひどくなっているからね。でも、それで痰は減ってきていますよ。」と。
痰は咳き込むことで口腔内までは出せていたが、吸引をしなければならない。自分で飲み込むことも多くあった。ただし、痰の量が多いということは、誤嚥のリスクが高く、窒息する可能性も高いということだ。だから痰の量を減らそうという方針なのだと私は理解した。
しかし私が思うのは、普通の場合において、痰が絡むなら痰の粘稠度を軽くして痰切れを良くして出し易くするのではないだろうか。根本的な治療で痰が減るのであれば一番ありがたいことだが、それができないとしたら、水分を減らして硬くして口には出せなくなることが身体にとって良いことだろうか?その先には肺炎が待っている。
サラサラの痰ならば、喉まで出てきていれば吸引できるものが、引くこともできなくなることが果たして良い道だろうか?
水分が減るということは、痰のことだけではなく、身体全体の水分が減るということだから、血液も尿も濃くなるだろう。ということは、尿路感染症になりやすく、唾液が減ればますます口腔内乾燥は進むと同時に抵抗力はなくなり気道感染をお越しやすくなる。酸素や栄養の運搬を担っている血液量も減ることになれば…
ナースに「私は痰は出せる方がいいと思っています。皆さんの手間はかけてしまうと思いますが、今まで通りの吸引をしてもらえれば、夜間はヘルパーさんレベルの吸引でも構わないです。それでもダメな時には寿命だと思います。けれど、水分量を減らしたことで、痰が粘稠になり吸引することもできずに肺炎になって命を落とすことがあれば、これは予測ができることだし人為的なものだと思ってしまいます。」と言ってしまった。
本当にそう思ってはいるのだが、正しい判断かどうかはわからない。
私が思うことは、どちらにせよ死に向かっているのは同じ。けれど、死ぬことを考えてのケアをするのか、生きるためのケアをするのかが違うように思えてならない。
リスクマネジメントをした上で水分を減らすのであれば、居室の湿度や温度管理、感染症予防対策を徹底し、そのケアプランの立案と説明、そして同意の上での実行があってこそだと思うのだ。
私はただただ母のことが大事なのだ。真剣に考えている。施設に苦情を言いたいわけでは決してない。
どうか心を寄せてはもらえないだろうか。
『横浜こぶしの会』OBOG現役懇親会
2012年11月18日(日)
私が30歳代の5年半ほど所属していた山岳会である、『横浜こぶしの会』のOB・OG・現役会員での懇親会に参加してきた。
懇親会というか、忘年会?、懐かしむ会?ともいえる飲み会
で、初対面の方も多くいたが、懐かしい人達は勿論のこと、同じく「山が好き」という共通意識を持つ仲間とは打ち解けるのが早い。
場所は桜木町にある‘叶屋’という居酒屋で、その昔は定例会の後には決まってこの店で2次会をしていたらしい。

『横浜こぶしの会』は1979年(昭和54年)5月に、神奈川県社会福祉事業団に勤務する有志により、『社会福祉山の会(仮称)』から始まったそうだ。当時の会長さんが、その歩みについて語ってくれた。
私が山に興味を持ち、‘山と渓谷’という山岳雑誌のメンバー募集の記事から入会したのが1998年だった。
山の‘いろは’を教えてもらい、日帰りハイキングから始まり、山小屋泊の縦走、テント泊縦走、岩、沢、雪と沢山のことを教えてもらい、今、私が単独行で飛び回って無事に帰ってこられるのは、この会のお蔭であることに違いない。

創設時の会報はこんな手書きだったそうだ。
今の『横浜こぶしの会』は、登山技術のある人が減ってしまい、岩や雪は活動しておらず、沢計画もごくごく少数だそうだ。
私も色々なことをしてみたかった時代があり、それぞれに苦しくもあり、楽しくもあったあの頃だが、今は季節を味わい、自分の力量に応じた登り方で山を感じられたらそれでいいと思っている。
もちろん、クライミングは今でもやれば好きだろうし、夏になれば沢登りは気持ちがいい。一面の白銀の世界にも憧れる。
これからも歩ける限りは続けていきたい山登り。仲間と会話を楽しみながらゆっくり登るのもいいなぁと思っている。縁は自分から切らない限りは続いていくものではないかなぁと思う。
あの頃は訳もわからず当番で勉強会の講師をしたり、山行リーダーとして登山計画を立て実行することが義務付けられ重荷だったけれど、退会後もずっと続けてきた山登りの経験から身体で覚えたことはいっぱいあり、今なら初心者にならば伝えられることも少しはできたかな。
皆さんの様子を知り、元気なお顔に会えて楽しい時間でした。ありがとう
私が30歳代の5年半ほど所属していた山岳会である、『横浜こぶしの会』のOB・OG・現役会員での懇親会に参加してきた。
懇親会というか、忘年会?、懐かしむ会?ともいえる飲み会


場所は桜木町にある‘叶屋’という居酒屋で、その昔は定例会の後には決まってこの店で2次会をしていたらしい。

『横浜こぶしの会』は1979年(昭和54年)5月に、神奈川県社会福祉事業団に勤務する有志により、『社会福祉山の会(仮称)』から始まったそうだ。当時の会長さんが、その歩みについて語ってくれた。
私が山に興味を持ち、‘山と渓谷’という山岳雑誌のメンバー募集の記事から入会したのが1998年だった。
山の‘いろは’を教えてもらい、日帰りハイキングから始まり、山小屋泊の縦走、テント泊縦走、岩、沢、雪と沢山のことを教えてもらい、今、私が単独行で飛び回って無事に帰ってこられるのは、この会のお蔭であることに違いない。

創設時の会報はこんな手書きだったそうだ。
今の『横浜こぶしの会』は、登山技術のある人が減ってしまい、岩や雪は活動しておらず、沢計画もごくごく少数だそうだ。
私も色々なことをしてみたかった時代があり、それぞれに苦しくもあり、楽しくもあったあの頃だが、今は季節を味わい、自分の力量に応じた登り方で山を感じられたらそれでいいと思っている。
もちろん、クライミングは今でもやれば好きだろうし、夏になれば沢登りは気持ちがいい。一面の白銀の世界にも憧れる。
これからも歩ける限りは続けていきたい山登り。仲間と会話を楽しみながらゆっくり登るのもいいなぁと思っている。縁は自分から切らない限りは続いていくものではないかなぁと思う。
あの頃は訳もわからず当番で勉強会の講師をしたり、山行リーダーとして登山計画を立て実行することが義務付けられ重荷だったけれど、退会後もずっと続けてきた山登りの経験から身体で覚えたことはいっぱいあり、今なら初心者にならば伝えられることも少しはできたかな。
皆さんの様子を知り、元気なお顔に会えて楽しい時間でした。ありがとう

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鼻曲山 ~霧積温泉~
『鼻曲山』は群馬県と長野県の県境に位置する山だ。百名山でも二百名山でもないが、名前が覚え易いためかずっと以前から頭にあった山なのだが、親しい山仲間から「あそこは温泉
も山も良かったな。もう一度行ってもいいな~。」と話に聞いてからは、チャンスがあれば行きたいと狙っていた山である。
『霧積温泉』といえば、‘日本秘湯を守る会’に認定されている秘湯で、遠い昔の映画‘人間の証明’[森村誠一作]の舞台になった場所でもある。
2012年11月4日(日)
昼頃に出発
し、途中‘横川SA’で懐かしの?『峠の釜めし』を購入。昔ながらの釜の容器に入った変わらぬ味だった。
7月から無職の私は貧しいので、『霧積温泉の金湯館』には宿泊せず、格安の‘軽井沢チサンイン’に宿泊。
ホテルのレンタサイクルを利用し、5分程度で軽井沢駅に着く。
駅周辺は広大なアウトレットモールになっており、日曜日とあって車は渋滞、すごい人出である。登山ウエアなどのスポーツメーカーも入っていたので、ぐるりと一通り歩いてはみたものの欲しい物はなく、牛角で焼き肉を食べてホテルへ戻った。
11月5日(月)
ホテルで朝食を食べてから出発。
軽井沢から登山口である、霧積温泉駐車場まではマイカーで1時間弱であるが、碓氷峠を通るので、朝からくねくね道にお腹も頭もシャッフルされて酔いそうになる。
有名なめがね橋。碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物。国鉄信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つで、同区間がアプト式鉄道時代に使われていたそうだ。

どなたかのHPで、金湯館までの道のりが悪路で運転が大変だったと書いてあったので心配したが、現在は全くそのようなことはなく、駐車スペースも広く、マイカー登山にはありがたいことだ。
‘金湯館’駐車場になっているところには、以前‘きりづみ館’という温泉宿が営業していたようで、今でも古いながらも風情のある建物だ。

ここから‘金湯館’までは徒歩で30分と標識で示されていたので、下山後に直接‘金湯館’に行けるように、温泉セットを持参しての登山となる。

なだらかに登る登山道だ。

すると、20分もしないうちに林道(車道)に出た。なんだ、車で来られる道もあるんだ。
大きく派手な看板に、金湯館と鼻曲山への方向が示されていた。
駐車場で先に出発した長野県在住のおじさん達グループが一休みしていたので、軽く会話を交わして先に行かせてもらう。

笹に覆われた登山道。軽井沢はツキノワグマの出没が多い場所なので、ちょっと気になる

登山道が浸食してしまったのか、土の位置が高いので歩きにくい場所が少々。

笹が伸びて道を塞いでいるため、軽い藪漕ぎ状態。庚申山に比べたら立派な登山道だけど^^;

山の中腹以降では多くの広葉樹は葉を落としてしまっていたが、こうして今を盛りのもみじもある。

これは指の先ほどの小さなシダだ。シダはどこの山でもお目にかかれる草だが、ここのはなんて小さくて可愛らしいこと

ほとんどはこの位の高さの笹で視界良好。歩き易い登山道だった。

平坦で広くなっている場所で休憩。ふと見ると、立派なキノコが生えていた。

ロープのある場所はここだけだったように思う。とても快適に歩ける山だ。

ただ、あまり景色に変化がないし、急な登りもないため、山頂が近づいているという実感が湧きにくい。
と、ここで目の前に見えたのが‘鼻曲山’山頂のようだ。なんとなく、人が寝ている時の鼻の形にも見えるような?由来は知らないけれど。。
鼻曲峠から山頂までは急登になる。それを約20分ほど頑張ると、

鼻曲山 1654mに到着。 ん?地図だと1655mになってるけど、どっちでもいいや~

山頂標識の奥に、小高く開けた一角がある。そこからの風景。あれに見えるは浅間山
山頂で昼食休憩をして、のんびり帰路につく。

秋らしい木の実?とキノコ。このキノコは食べられそうに見えるけど、、、

来た道をのんびり戻り、元の車道へ辿り着くと、そこから‘霧積温泉 金湯館
’へ徒歩6分。
車道から沢沿いへと降りていく。

橋を渡ると‘金湯館’玄関。歴史と秘湯ムードを感じる古い造りだ。

玄関入って左へ細長く寒い廊下を下ると男女別の内湯がある。その長い廊下の途中には、今は使われていない様子の卓球台があり、いかにも昔の温泉旅館の風情が感じられた。

手前に女湯
脱衣所に入るとストーブが焚かれており暖かい。ロッカーなどはなく、籠が並べられているだけ。

洗い場は3つで赤と青マークのカランがあったが、しばらく出してもお湯は出なかったので、浴槽の湯を使ってシャンプーも洗身も済ませた。無論シャワーはなし。ボディーソープやシャンプーは設置されていた。露天なし。
泉質は無色透明なカルシウム硫酸塩で、39℃で湧き出している。ちょっと口に含んでみたが、臭みがなく飲みやすいと感じた。
初めは温くて、これじゃあ身体が温まるまで相当時間がかかると思っていたが、15分くらいでポッカポカ。身体の芯から温まり、しばらくは上着が暑くて着れなかった。
廊下の洗面台にも温泉が引かれていた。

お茶とお菓子が用意されており、ストープの周りで一服のんびり。

玄関内に飾られていた‘日本秘湯を守る会’の提灯前で記念撮影

温まって軽くなった身体で、車道までを登り返し、そこからはゆっくり駐車場へと下っていく。

鮮やかにりんどうが咲いていた。
【コースタイム】
往路:金湯館駐車場08:55→林道 金湯館分岐09:14→剣ノ峰・角落山分岐09:36→鼻曲峠10:51→鼻曲山山頂11:07
復路:山頂11:25→鼻曲峠11:36→剣ノ峰・角落山分岐12:35→金湯館分岐12:54→金湯館12:54/温泉
/13:53→金湯館駐車場14:10

『霧積温泉』といえば、‘日本秘湯を守る会’に認定されている秘湯で、遠い昔の映画‘人間の証明’[森村誠一作]の舞台になった場所でもある。
2012年11月4日(日)
昼頃に出発

7月から無職の私は貧しいので、『霧積温泉の金湯館』には宿泊せず、格安の‘軽井沢チサンイン’に宿泊。
ホテルのレンタサイクルを利用し、5分程度で軽井沢駅に着く。

駅周辺は広大なアウトレットモールになっており、日曜日とあって車は渋滞、すごい人出である。登山ウエアなどのスポーツメーカーも入っていたので、ぐるりと一通り歩いてはみたものの欲しい物はなく、牛角で焼き肉を食べてホテルへ戻った。
11月5日(月)
ホテルで朝食を食べてから出発。
軽井沢から登山口である、霧積温泉駐車場まではマイカーで1時間弱であるが、碓氷峠を通るので、朝からくねくね道にお腹も頭もシャッフルされて酔いそうになる。

有名なめがね橋。碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物。国鉄信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つで、同区間がアプト式鉄道時代に使われていたそうだ。

どなたかのHPで、金湯館までの道のりが悪路で運転が大変だったと書いてあったので心配したが、現在は全くそのようなことはなく、駐車スペースも広く、マイカー登山にはありがたいことだ。
‘金湯館’駐車場になっているところには、以前‘きりづみ館’という温泉宿が営業していたようで、今でも古いながらも風情のある建物だ。

ここから‘金湯館’までは徒歩で30分と標識で示されていたので、下山後に直接‘金湯館’に行けるように、温泉セットを持参しての登山となる。

なだらかに登る登山道だ。

すると、20分もしないうちに林道(車道)に出た。なんだ、車で来られる道もあるんだ。
大きく派手な看板に、金湯館と鼻曲山への方向が示されていた。
駐車場で先に出発した長野県在住のおじさん達グループが一休みしていたので、軽く会話を交わして先に行かせてもらう。

笹に覆われた登山道。軽井沢はツキノワグマの出没が多い場所なので、ちょっと気になる

登山道が浸食してしまったのか、土の位置が高いので歩きにくい場所が少々。

笹が伸びて道を塞いでいるため、軽い藪漕ぎ状態。庚申山に比べたら立派な登山道だけど^^;

山の中腹以降では多くの広葉樹は葉を落としてしまっていたが、こうして今を盛りのもみじもある。

これは指の先ほどの小さなシダだ。シダはどこの山でもお目にかかれる草だが、ここのはなんて小さくて可愛らしいこと


ほとんどはこの位の高さの笹で視界良好。歩き易い登山道だった。

平坦で広くなっている場所で休憩。ふと見ると、立派なキノコが生えていた。


ロープのある場所はここだけだったように思う。とても快適に歩ける山だ。

ただ、あまり景色に変化がないし、急な登りもないため、山頂が近づいているという実感が湧きにくい。
と、ここで目の前に見えたのが‘鼻曲山’山頂のようだ。なんとなく、人が寝ている時の鼻の形にも見えるような?由来は知らないけれど。。
鼻曲峠から山頂までは急登になる。それを約20分ほど頑張ると、

鼻曲山 1654mに到着。 ん?地図だと1655mになってるけど、どっちでもいいや~

山頂標識の奥に、小高く開けた一角がある。そこからの風景。あれに見えるは浅間山

山頂で昼食休憩をして、のんびり帰路につく。


秋らしい木の実?とキノコ。このキノコは食べられそうに見えるけど、、、

来た道をのんびり戻り、元の車道へ辿り着くと、そこから‘霧積温泉 金湯館

車道から沢沿いへと降りていく。

橋を渡ると‘金湯館’玄関。歴史と秘湯ムードを感じる古い造りだ。

玄関入って左へ細長く寒い廊下を下ると男女別の内湯がある。その長い廊下の途中には、今は使われていない様子の卓球台があり、いかにも昔の温泉旅館の風情が感じられた。

手前に女湯


洗い場は3つで赤と青マークのカランがあったが、しばらく出してもお湯は出なかったので、浴槽の湯を使ってシャンプーも洗身も済ませた。無論シャワーはなし。ボディーソープやシャンプーは設置されていた。露天なし。

初めは温くて、これじゃあ身体が温まるまで相当時間がかかると思っていたが、15分くらいでポッカポカ。身体の芯から温まり、しばらくは上着が暑くて着れなかった。


お茶とお菓子が用意されており、ストープの周りで一服のんびり。

玄関内に飾られていた‘日本秘湯を守る会’の提灯前で記念撮影


温まって軽くなった身体で、車道までを登り返し、そこからはゆっくり駐車場へと下っていく。

鮮やかにりんどうが咲いていた。
【コースタイム】
往路:金湯館駐車場08:55→林道 金湯館分岐09:14→剣ノ峰・角落山分岐09:36→鼻曲峠10:51→鼻曲山山頂11:07
復路:山頂11:25→鼻曲峠11:36→剣ノ峰・角落山分岐12:35→金湯館分岐12:54→金湯館12:54/温泉

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