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第3弾! 2月13日(金)グレート・バランコ・バレーからウフルピーク登頂☆そして下山まで。
2月13日(金)グレート・バランコ・バレー【3950m】の朝も快晴
今朝は屋外での朝食です。
太陽が近い感じで、空気は澄んでいるし、気持ちいいなぁ 。…ただ少し空気が薄いみたい
あ…瞼が…・/span>計丸い顔。
上手に撮ってもらいました
今日は短時間行動で、登ったり降りたりの、高度順応をするから大丈夫、大丈夫。順応できる!
目の前の高い岩壁のようなところを登って行く。
氷柱が垂れてる。寒いんだよね。
でも、日差しが強くて、風がないから、行動中は体調さえ崩さなければさほど寒くは感じない。
はい、一息。
ただいま元気です
一目瞭然だね
へつって…
そして、「ぼーっ」と休憩。
ぐぐっと降りて、
しばしの樹林帯。
最後に一気に登り返すと、
12:30前 カランガ【3930m】に到着。
後ろにMyテント。
体力とか、筋力じゃないんだよねー。
ひと休み後は、浮腫みも少し抜けた感じで、一人でお散歩。
2月14日(土)晴れ
今日はいよいよアタック前のキャンプ地である、バラフ【4600m】へ向かう。頭痛はあって当たり前で、身体が高度に順応しているというよりは、頭痛の耐え方が身に付いてきたという感じでもある。 このプレートは私のものではありません。食べられなくなってきた。
昨夜も頭痛を和らげるために沢山の水を飲んだのに、朝、トイレに行きたくならない。
循環が滞ってきてしまった。
カランガ出発前のガイドさん達。ガイドさんにとっても、ここから先、私達をピークへ導くための役割が大きいところ。ポーターさん達は、バラフのテン場より上には上がらない。
メンバー全員と、添乗員さん、サブガイドさん2名とで記念撮影。
ゆっくりゆっくりバラフへ。3時間程度の行動時間。
歩き始めて1時間近くなる。
雲海が素晴らしいが、私は見た記憶はない。
この写真も私が撮ってあげたわけではない。
もう立って動く元気なし。
あとはバラフまで歩くことのみ。
ここから先は、もう自分で景色の写真を撮る・/span>裕もなし。
キャンプ地に着くまで歩くという気力のみで、足元しか見ていない。
沢山の写真を提供してくれた仲間に感謝
おお!テントが見えてきたではないか!!
でも、私の目には見えていなかった。
ただ、石畳のような足元だけを一歩一歩歩くことだけ。
はっきりは覚えていないけれど、大きな岩を抜けた途端に、誰かの声でキャンプ地に着いたことがわかった。
バラフ 【4600m】11:11到着。
嬉しいという感情はなく、ただ「着いたんだ。」と思った。
中央テントの左上辺りの岩陰で赤いダウンを着てうずくまっているのが私。
覚えているのは、すごく寒かったこと。凍りそうだと思いながら、それ以上何かを着るということが思いつかない。添乗員さんが近くに来て、「他に着るものはないんですか?」と訊いてくれた。そしてダウンが手元のザックに入っていることを思い出し、でも、よくわからないうちに、それを出してもらって着たんだと思う。
頭痛とか、吐き気とかではなく、意識だけはあるけれど、現実離れしているような…なんともいえない感覚。
右の大きな岩影にある、小さなテントを設営してもらうと、倒れこむようにして、しばし休む。
テントの中は、しばらく陽が当たってとても暖かだった。
昼食タイム。皆さんも食欲が低下してきている。
私は全然ダメだ。食べられない。飲むのもコップ1杯が辛い。全くトイレに行きたくならない。このままでは、今夜のアタックなど到底無理。平地だって大した距離をまともに歩けやしない。
最後の切り札。メンバーの1人が、高山病に効くと言われているダイヤモックスを持参していた。彼にお願いして、2錠を分けていただくことにした。ここまでもらわなかったのは、薬に頼ることが嫌だったわけではなく、利尿促進効果というのは、効き過ぎても血中バランスが崩れて怖いものだと認識していたからだ。できるものなら我慢のうえに自然に順応したかったのだが、もうここまで来て順応などあり得ない。どうにもならない。薬が効かなければ、私はもうアタックそのものを諦めようと思っていた。あんなに憧れたキリマンジャロだったが、自分でも嘘のように心は穏やかだった。ピークに登れなくてもいいとスンナリ思っていた。それは苦しさからではない。私はもう、ここまでのキリマンジャロ登山の行程の中で、充分に満足していたのだ。ピークを踏むこと以上のものを、既に得ていた。けれどメンバーの一人が「す○○さん!絶対登りましょう 死んでも登りましょう 」と力強く声を掛けてくださったのだった。その場でいい返事はできなかったけれど、自分のテントに帰って一人になった時、せっかくここまで皆とパーティを組んできて、もし私が登頂できなかったら、他の6名は登頂できても、私の前で心から喜びを表すことができなくなってしまうんじゃないか、と思った。それは私としても避けたいこと。『どうか、薬よ、効いてちょーだい!!』
昼食後の14時に半錠をまず飲んでみた。…すると、
ヤッター
夕食後に半錠、そして出発前にもう半錠。合計1.5錠を飲むことにする。
ちなみに、このトイレ、外側はキレイだが、中はセメントに穴が開いているだけで、他と同じ。ドアがあるだけマシだけれど、鍵がきっちりしまらないので不安。
夕食はラーメン
これにはみんな喜んだ。おかわりする人も多く、珍しく完売。
私はというと、まだダメだ。残してゴメンナサイ
でも、夕食前にもトイレに行くことができた。体調は悪いけれど、良くなる兆しはある。
夕食後の18時に予定通り、半錠の薬を祈る気持ちで飲む。そして寝る
23:30に出発できる状態で、ジャンボテントに集合し、軽食と水分補給程度をして、0時にアタック開始の予定。
私は22:50に起きた。トイレにも行った。夕食時と比べて体調は格段に良好。嘘のように身体が思い通りに動く。すごい ビスケットも美味しい。バッチリだ
ただ、いつまた襲われるかわからないので、予定通り、もう半錠を飲んだ。
2月15日(日) バラフ、0時に出発。
先頭はチーフガイドのアロン。メンバー7名。添乗員さん。サブガイド3名の12名パーティ。一番遅い人のペースに合わせて登る。
登っている時は常に前の人の足だけを見て、ただ同じように一歩を進めた。
アロンは、ポケットに両手を突っ込み、ゆっくりゆっくり、一歩一歩、着実に登っていく。途中途中で後尾に付いているサブガイドに明るく元気よく声を掛ける。それにサブガイドも元気よく応える。その掛声にどれだけ励まされたことか。
そして、「キミノーユクミチハ〜♪ハテシナクトオイ〜♪♪」と歌うではないか たどたどしい歌がより一層心に響く。思わず一緒に口ずさんでいた。ただ、酸素が薄いので、常に「フッ フッ ハッハッ」と2回吐いては、2回吸う呼吸を意識的に繰り返し、高山病が悪化しないように努めた。いつまた酷い状態になるかはわからないと不安はあったが、結局のところ驚くほど好調だった。
何回休憩をとったかは覚えていないが、私は休憩はいらないと思うほど元気だった。そして止まるとすご〜く寒かった。
となりのモーゼスがその都度手を温めてくれたり、両腕をさすってくれたりした。私も温め返してあげられるほど、元気になっていた。
寒そうな様子が伝わるでしょ。
私は冬用肌着を上下着用し、フリース上下にダウンを着て、冬用ジャケット・ズボンを着ているのに、行動していても寒いほどだったから。風さえなければ、それほど身に沁みないと思うのだが。
ステラポイントを通過して、
午前6時、ウフルピーク【5895m】登頂
誰だか覚えていないけれど、抱き合って喜んだ。
全員の集合写真が撮れなかったのが残念だ。
(メンバーそれぞれが、頭の中も、行動もバラバラになってしまったのだと思う。)
私は友達から頼まれていた‘キリマンジャロの石’をしっかりポケットに詰め込んだ。
そうこうしていると、アロンから早くも「降りろ。」の指示。
まだ日の出を迎えていないので、景色がハッキリ見えない。でも、高所にいること自体、リスクが高いということで、下山を急がされる。
山頂から見る氷河。…言葉はない。
サイモンが先頭にたち、それについてどんどん降りる。
下りは苦手な私だけれど、降りれば高山病の心配はなくなると思ったら、自然とスピードアップ
バラフに戻り、ひと休みしたら、下山開始。
もうめちゃめちゃ元気です
ミレニアムキャンプでのひとコマ。
みんな達成感と、安堵と、疲れとって感じかなぁ。
右上の緑の建物が売店になっており、Tシャツや飲み物などを売っている。
1人撮り全開
三脚を立てては行ったり来たり。
前の人と後ろの人との間隔を確認しながら、いつも通りの一人歩きモード
15時にムウェカキャンプ場【3100m】に到着。
右手にレンジャーの建物とトイレがあるのだけれど、マチャメゲート以来の立派な建物。
ほら、これがトイレ!清潔なのが嬉し〜い
洋式と和式があるけれど、ここはやっぱり和式利用かな。
蓋付きがまたいいね。足場もしっかりしているから、汚れないし。
何よりドアが普通にあって、鍵がちゃんとかかることが一番安心最後のテントでの夕食。
和やかなムード
一番ホッとしているのは、添乗員さんだと思う。(中央)
まだ、食欲が戻らない人もいたけれど、私は日頃以上の食欲
これで、6泊目ですよ!
最後まで美味しい食事を提供してくださったコックさん、材料を荷揚げしてくれたポーターさんには心より感謝
夜はここまでにない熟睡の夜でした
2月16日(月)晴れ
朝はいつも晴れ。
一段とテキパキとテント撤収作業を行うポーターさん達。そりゃ早く帰りたいよねー
もうチーフガイドは下山し、登頂証明書の手続きに行っている。その他、ポーターさん達も半分以上?は下山。
残っているサブガイド、コックさん、ポーターさんで『キリマンジャロの歌』を手拍子と共にノリノリで合唱してくれた 声をお届けできないのがすごく残念だ。
《昨夜の時点では、歌の予定はなかったようだが、私達が「聴きたかったなー。」と残念がったので、添乗員さんがお願いしてくれたのだろう。感激だった 》
この後、一人一人に添乗員さんから私達からのチップを手渡し、彼らが私達の所に順番に走ってきて握手をした。顔を覚えている人、記憶に残らなかった人といたが、どの人にもありがとうの気持ちは変わらない。そして、特にお世話になった方には別途個人的にボーナスチップを渡すことになっており、私は、その場に居た、サブガイドさん2名、コックさん2名、ずっと給仕にあたってくれた人1名に手渡した。
具合の悪かった私は、荷物を持ってもらったり、気を揉ませたりと、他の人以上にお世話になってしまったから。 最初はチップという習慣は面倒だと思ったけれど、言葉も通じないし、お礼も伝えられない私にとってはいい方法だな、と思った。最後まで変わらず、生き生きと、明るく元気に働いてくれた彼らの仕事ぶりは本当に素晴らしかった。
午前8時過ぎ、ムウェカ・ゲートへ向けて一路下山。
ポーターさん達は、ゲート横の施設でシャワーを浴び、着替えてスッキリしている様子。
お疲れ様でした。
登山事務所で手続きを行ない、駐車場へ10分程度歩く。
今日はスーツケースを預けたモシのホテルに戻って昼食。その後、アルーシャへ移動し宿泊予定。
ブログを見て下さっている皆さん、第3弾は長編になりました。お疲れ様です。ありがとう。この後は、登頂証明書授与があって、サファリ編へと続きます。野生の動物達に乞うご期待
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コメント
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息を飲むドラマでした。一緒に登ってきたような気分!
まるでキリマンジャロに導かれるかのように出発した旅だったようだけど、キリマンジャロは最後までのりちゃんを見捨てなかったね。何か運命的な物を感じてしまうけど、チャンスをモノにしたのはのりちゃん自身の行動力であって、それにはいつも感心してます。
それにしても見事な体調管理!さすが!
頂上付近では「無の境地」を体験したようだけど、もう少し高いと人間は天使になっちゃうんだろうね。
ブログの構成も、コメントの無い写真が続くあたりは悲壮感すら強烈に感じられて、ただひたすら言葉も無く一歩前の繰り返しという状況がリアルに伝わってくる気がしたよ。
標高もメートル表示なので換算しなくていい分ダイレクトに高さが感じられるね。と言っても私には想像を超えた世界だけど・・ どこの国も同じなのかな?
それと、食事が妙に美味しそうに感じちゃった。いつか再現して食べさせて〜!きっと味の中にも思い出が蘇ると思うよ。
花もきれいだけど、不思議な容姿だね。
「葉っぱ」気になったけど、私の中では「単なるクロスの柄」ということで処理しました。
ねぇのりちゃん、いつかポーターとコックさん引き連れて「現代版奥の細道大名行脚」なんてどう?
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makotoさーん お待ちしていましたよ。ようこそ。
お陰様でなんとか登頂し、無事に帰ってこられました。ありがとうございます。
いただいたお手紙など、キリマンジャロファイルに一緒に綴じて、感動の一部として大切に保管しています。私にとっては、本当にこの旅の一部となっています。
お友達のお話を聞いたところでしたか。私の拙い報告でも、色々イメージしやすかったのではないでしょうか。その方は高山病は大丈夫だったんですか?マラングルートからですか?
私にとっては、今後の生き方、考え方にすごく影響を受ける体験となりました。今、行くことができて本当に良かったと思っています。
仕事の方も気に掛けて下さって、ありがとうございます。2日(月)に初出勤で、現場には4日から入っておりますが、まだオリエンテーションの日々です。毎日、新しいことを詰め込まれていますが、押し出されていることの方が多そうで、ちょっと心配です
電車通勤をしていますが、なかなか新鮮です。ちょっとした時間で本を読んだり、人間ウオッチングをしたりと有効な時間?です。
ブログの内容、山とは関係の無いことでも、大歓迎ですので、ぜひまたお越し下さい。
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3通の素晴らしい記事と写真のレポート読ませていただきました。2月28日にたまたまキリマンジャロに登った友人の話を聞き写真を見ていましたのでより一層様子が理解できました。高山病の記事ではもう十分に頑張ったのだから無理をしないでといいそうになってしまいました(帰国後だから関係ないか)。
3月からの仕事も頑張ってね。
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asさん 腫れぼったい顔もチャーミングでしょ?! もともと中年のおばさんには変わりないんだけれどさ
いやでも、本当に感動的だったんですよ。この6泊7日のすべてが。その後のサファリも。
1ヶ月前の今日、羽田から出発したわけですが、今だにアフリカ病から覚めません。まだまだ当分続きそう。
地球温暖化、氷河を残すことは間に合わないだろうけれど、身近なエコはしたいですね。できることから。
tabetai3 会員番号3は、『ここに居る』がいただいちゃってますよ!『どこ行った?!』は当然1番でしょう
なんのこっちゃ
葉っぱの敷物ねぇ…さすが、目の着けどころが違いますね でも、わかんないよォ〜そんなの。
写真も文章もうまいですね、毎回ハラハラさせられる山行記録で何回も見てしまいました。
食事テントの食卓にあった葉っぱみたいな敷物は何でしょうか?気になる。
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登頂までの高山病との闘い、仲間の助けと励まし、そして厳しい道のり、第三弾は感動の涙なしでは読めませんでした
急に中年のおばさんになってしまったようなハレぼったいお顔がその厳しさを物語っていました。
ウフルピークまで登頂できて本当に良かったと思います。
氷が少なくなっているのが実感できましたが、温暖化の影響はここでも深刻なんですね。
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あるぷすさん、一緒に喜んでくれてありがとう 本当に薬が効かなかったら、または効きすぎてバランスを崩してしまったらダメでしたね。良かったです。
アロンの歌は登っていることを忘れさせてくれました。そして皆と一緒に居るという心強さを感じました。
ただ、ウフルピークに着いた時には抱き合って喜んだものの、多分頭の中も普通じゃなかったのかもしれないし、感動というのとはちょっと違う感覚でした。登頂の喜びは、むしろ時間が経つほどに増しましたね
氷河…残って欲しいと思うけれど、どう見ても私達が生きている間には、なくなってしまうんだろうな。。
みさちゃん、感動を共有してもらえて嬉しいよ
山はいつでもご案内させてもらいますが、まずはダイビングの方をよろしくお願いしますね ラウトで山話をしましょう
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登頂のシーンでうるうるきてしまいました。
神々しくて読んでるだけでも神聖な気持ちになりました。私も山登りたいな‥どうやってはじめたらいいんですか?!!(完全に影響されてる(笑))
ダイビングも絶対やりましょうね〜
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高山病発症からバラフ到着後、仲間の人から高山病の薬をいただくまでのくだりは、あの頑健なnoriちゃんでさえも、いったいどうしたのだろうと言うぐらい苦しんだ様子で、よくぞ堪え抜いたね。そして、薬の効果が表れた時はブログを見ている側も思わず『やった』と叫んじゃいました アロンの歌った片言の「若者たち?」も元気づけられましたね
そして、ついにウルフピークに登頂 した時は今まで苦しみ抜いただけに喜びも格別なものだったことでしょう。
山頂付近の氷河…いつもでも残っていてほしいものです。
下りる時の早そうなこと。両手を拡げて、すっかり元気を取り戻したみたい。彩やかな花々 も祝福していますね。
次のサファリの楽しみにしています。
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Leopon そうなのよー、まさに一心不乱。一歩に集中。もっとあのキャンプが遠かったら、私はどこまで歩けたんだろう?
自分の目では見ていない景色でも、こうして仲間達の送ってくれた写真を見ると、その景色の中を歩いている自分が見えるようです。あの6泊7日は、ドラマそのものでした。
水のガブ飲みねぇ〜 私はそれが苦手だってこと、よく知ってるでしょ? ビールをグビッと飲む人みたいに飲めたらいいのだろうけれど、自分なりには頑張ったけれど、多分、他の人に比べたら全然足りなかったんだと思うよ。そうだね、飲める人が高山病に強い人かも
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ケンチャン、私は登山家じゃないから
本当に自分の力だけでは登れなかったよ。仲間にも、ガイドさん達にも、語りきれない感謝の気持ちでいっぱいです
キリマンジャロに来なければ、そういったことも体験できなかったんだ。私は登頂すること以上に、本当に素晴らしい感動をいくつも与えてもらったんだ。幸せです
yamatomoさん、高山病は私の場合、薬が上手く効いたので、アタックの途中からは本当に元気になり、その後はすこぶる快調でした 高度が下がれば、高山病であれば皆さんスッキリと治るようですよ。私は元々がご存知?のようにタフですから、休憩中も動き回るくらいでした。
むしろ、帰国後1週間ほどお腹を壊したことがアフリカ後遺症
マナティ、そうか。私はあの時、アフリカ大陸で、誰よりも1番高い所に立っていたんだね そう思うと感動もまた一入だな
ダイビングライセンス、まだ進んでいません 帰国後、満足感に充たされて、山へ行きたいとか、何をしたいという欲求がなくなっているの。でもね、絶対夏までには取るからね!
ただ、次にもしアフリカに行けるとしても、私は60歳になってからだな。大した時間じゃないよ。
やはりピークまでの道程険しかったですね!
登りカランガ迄と、其れ以後ウフルピークまでのお顔の表情が一変されています。
バラフの行程途中素晴らしい雲海の見落とし、状景の記憶漏れ、一心不乱に
前進これは・/span>裕無く気力だけとお見受け。バラフキャンプでの人(メンバー)の優
しさ励まし、結束力によりウフルピーク【5895m】登頂。
///// 素晴らしいドラマ /////
人生の縮図のようです。
下山でも一変されていますね、普段モードに早変り、さすがです。
第2弾でのコメント先走った項目(水のがぶ飲み)誤りです。反省、ゴメン^^;
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続き …まだ図鑑に載っていない魚がたくさんいることは言うまでもない。それより、どこを見てもウミガメ がいるのに驚かされる。早くライセンスとって山も海も楽しんでね。
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素晴らしい写真の数々に驚きと感動を覚えています。第2弾ではシラ・ケーブからの朝の雲海の写真がとても良かった。雲の切れ間から「そう簡単には全姿をみせないぞ!」とばかりに、片思いだった キリヤマヌジャロ最高峰のキボ峰の頂が顔を出している。この写真を見た時、あんなに遠い山頂まで歩いていけるのだろうかと思った。標高差だけでも2000m以上あるし‥。それがこんな素晴らしい写真に繋がったんだね。2月14日、よく写真 等でみかけるウフル・ピークの頂にnoriちゃんがいる。ついにこの日、生涯最高標高地点を更新だ。この時、日本国は勿論、広大なアフリカ大陸でnoriちゃんより高い所に立っている人間は誰もいなかった訳だから凄いよ
この後は楽しいsafariゲームが続くのだろうけどちょっと脱線。次回、キリマンジャロに行くことがあれば、ダイビングもしてくると良いよ。ダルエスサラームから船に乗ってザンジバル島 に行くとそこはもう別世界。お勧めは島北部にあるヌングイビーチ。ここにムネンバ・アトールというダイビングポイントがあるんだけど、僕の中ではモルディブにも匹敵する最高のポイントだった。水の透明度が良く、まだ図鑑に載っていない魚がたくさんいることは
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高山登山・登頂の厳しさを真に感じることができました。ありがとうございます。それにしても、よくがんばった。…ちょっと身体の危険も感じられるけど、後遺症はないよね?
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第三弾、堪能したよ。僕の小さな携帯で、一気に見たよ。言葉が見つからない‥よく頑張ったとしか言えません。ピーク到達を諦めかけた瞬間から‥貴女は、登山家としての本当の力(潜在能力)を発揮した。自分に打ち勝つためには、人としての“愛の力”が必要だということを、スーちゃんの挑戦の記録から学んだ気がします ‥ありがとう! 『挑戦シリーズ・サファリ編』楽しみだ。ジャングル大帝・レオの面影や、ライヤや、可愛い子供たち‥ルネやルッキオに逢えたかしら?‥ 野生の便りを楽しみに、しばし‥休息
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かいじさん、一緒に登れた?良かった〜 いいでしょ、山って。
体調管理はいつもバッチリ!なはずなんだけれど、ここまでの高山病は予定外でした。順応できると思ったんだけどなぁ。あまかった。でも、薬が効いて良かったよお。天使がキレイでも、まだなりたくないもんね
書いている私よりも、読みとる人の力で、リアルさって伝わるものなんだね。そう、その通りだもの。
タンザニアの標高表現がフィートなのか、よくわからないけれど、ちゃんと地図に記載されているのと、高度計を持参の方もいたので助かりました。
食事の再現ね…でもね、多分、日本で、そして下界で食べたら美味しくないよ。ただ、シンプルで癖がないから、食べやすいけれど。たとえばフライパンの上で卵割ってグチャグチャっとして、よ〜く焼くとか。
ポーターさんやコックさんが日本人だったら全然雰囲気違っちゃうだろうな。言葉が通じない方がいいのかも。
でもね、日本の山は素晴らしいよ。山は大きさでも高さでも険しさでもない。とても美しいと思う。ただね、アフリカ後遺症で、まだ山に登りたいという気が湧いてこないんだ。珍しい!